徒然記

松長有慶先生
第412世金剛峯寺座主松長有慶先生の訃報の知らせを受けました。心よりお悔やみを申し上げます。
高野山大学時代にご指導を受け、その後の修行時代には専修学院の門主となり、伝法灌頂の大阿闍梨として松長先生より授法賜りました。仏教学密教学の大先生として沢山の書物を出版なされています。
大学卒業後もインド史やインド仏教チベット仏教など多くに触れて学ばさせていただきました。
修行時代の仲間が「松長先生から灌頂を受けられるなんて夢のようだ」と話していたのが耳に残っています。そんな仲間が先日に自身の研究資料『仙芥集』を発表されました。高野山を下りてからもずっと大正大学で研究をされていたようです。

以下、引用
『仙芥集』 本書は称名寺所蔵・神奈川県立金沢文庫管理「国宝・称名寺聖教」に蔵される『仙芥集』の翻刻である。鎌倉時代鎌倉亀谷に住した真言僧定仙(1233~1302)の受法記録をまとめたものである。

写経会はテーブルとイスに!!


テーブルとイスにてお写経ができるようになりました!

宗園院では毎月第3日曜日午後1時より写経会を開催しています。(8月は休会いたします)
以前は低い机に座布団でご浄写いただいていましたが、昨年よりテーブルとパイプイスとなりましたので足の負担などを気にせずにご浄写いただけるようになりました。「楽になった」「これなら長時間でも大丈夫です」というお声もいただいています。また個人スペースも広くお使いいただけます。
この機会にどうぞお写経に触れてください。

ご詠歌教室やその他の勉強会なども長机に椅子を用いています。

るるぶ特別編集「わくわく高野山めぐり!」


弘法大師御誕生1250年を記念して作成されましたるるぶ特別編集「わくわく高野山めぐり!金剛峯寺」がとても見やすいので紹介いたします。また、記念大法会献香料を納めますとトートバックにるるぶに記念散華に高野山内参拝証なりと盛り沢山の記念品がいただけます。
この度の宗園院団参ツアーの参加者にはこちらの記念品一式がつきます。お楽しみにどうぞ。
高野山へは行けないけど、記念品が欲しいという檀信徒の方の分も注文いたしますので、ご連絡をくださいませ。
令和五年節分会
昨日に星まつり節分会を無魔成満いたしました。
今年の節分会では羅睺星と計都星、ラーフとケートゥの話をいたしました。
『マハーバーラタ』のアムリタを巡る争いに出てくる悪魔のことです。(有名な物語の1つです)

『マハーバーラタ』は膨大な物語です。(訳出本は多数出ています)中にヴァイシラヴァナ(毘沙門天さま)が活躍される物語などもありとても興味深い物語が沢山含まれています。ヴァイシラヴァナが夜叉や羅刹を眷属とする所以なども描かれています。

立春を迎えました。転禍為福善い一年となりますようご祈念申し上げます。
令和五年二月四日記
令和五年大般若転読法会

穏やかな気候の中、新春初護摩供と大般若転読法会ともにおかげさまで無魔成満いたしました。
ご尽力をくださった方々、ご参拝くださった方々みなさまに御礼を申し上げます。
法要の後には法話を行いさらには弘法大師御誕生1250年高野山団参ツアーの説明をいたしました。
このご縁に多くの皆様と参拝できるとよいなと考えています。
近々、旅行会社さまからの案内をお届けいたします。

また、毘沙門天さまのタンカを奉納いただきました。そちらも近々お披露目いたします。合掌
令和五年一月八日記
奉詠舞大会とご詠歌コンサート『阿字の道』長崎ブリックホール

11月26日のご詠歌の大会+コンサートのお手伝いに行ってきました。
午前は3階国際会議場にての奉詠舞踊(ご詠歌と舞踊の大会)が開催されて、午後からは1階大ホールにてご詠歌コンサート『阿字の道eternal』が開催されました。
とても大がかりな舞台でしたので今回は裏方で参加させていただきました。
令和四年十一月二十七日記
別府南無の会特別講演会


おかげさまで無魔成満いたしました。ありがとうございました。
日頃中々聞くことができない慈雲尊者のお話を沢山聞くことができました。
慈雲尊者といえば「戒」と「律」を重んじられた方として有名です。古来より伝わる戒律に則したとても貴重なお袈裟をご持参くださいました。七條衣、糞雑衣、大衣になります。
令和四年十一月六日記
秋の過ごし方
四季を通して過ごしやすい時期というのは限られています。
全国的には冷え込んだ地域もあるようですが、九州の地はいまだ日中は20℃を超えてとても過ごしやすい日々となっています。
そんな秋の過ごし方は私は読書です。活字が好きでミステリー小説などが好きなので、書棚が大変なことになっており、書斎を設けてようやく整理できました。仏教の専門書などを読んで「疲れたな」と感じたらそこで小説を手に取り読み出すのが家族には不思議に見えるようです。
「疲れたと言いながらなぜまた本を読むのか」頭の中を切り替えるわけです。
小説好き活字好きな人からみれば普通なことですが、変な人扱いをされています。
映画をたくさん見る人と近しい感じですが、目で見るのではなくて小説で自分の頭の中に描くのがより愉しいわけですね。過ごしやすい時期は読書がより進みます。みなさまはどのように過ごされていますか。
時間を上手く活用してください。

信貴山に上り毘沙門灌頂を受けられた方から寅まんじゅうをいただきました。
護摩供のお接待としてみなで頂戴いたしました。合掌。

令和四年十一月五日記

 

折り鶴のお供え

地蔵堂にとても可愛い折り鶴をお供えいただきましたので、飾り吊るしました。
折り鶴1つ1つに思いを込めてくださったことでしょう。大切にお預かりをさせていただきます。合掌

※当初は向かって左側に飾っていたのですが、右側に変更しました。

令和四年十月記
彼岸花と月下美人


境内には赤と白の彼岸花が咲き誇っています。
また、いただいた月下美人にようやく蕾がつきました。
いつ頃咲くのでしょうか、楽しみです。いよいよ咲くという日には撮影をする予定です。
令和四年九月記
温暖化とSDGs!?
ここ数年の猛暑や異常気象はおよそ温暖化の影響といわれています。
そしてその温暖化の原因はやはり人間の生活環境にあるようです。
気象庁のサイトにはこのように書いています。

地球温暖化の原因
20世紀半ば以降に見られる地球規模の気温の上昇、すなわち現在問題となっている地球温暖化の支配的な原因は、人間活動による温室効果ガスの増加である可能性が極めて高いと考えられています。
 大気中に含まれる二酸化炭素などの温室効果ガスには、海や陸などの地球の表面から地球の外に向かう熱を大気に蓄積し、再び地球の表面に戻す性質(温室効果)があります。18世紀半ばの産業革命の開始以降、人間活動による化石燃料の使用や森林の減少などにより、大気中の温室効果ガスの濃度は急激に増加しました。この急激に増加した温室効果ガスにより、大気の温室効果が強まったことが、地球温暖化の原因と考えられています。

近頃はSDGsという言葉が多用されています。内容が広すぎてなにがなんやらという感じです。資源を大切にすること、再生エネルギーの使用などはもちろん大切なことだとは思いますが、誤った使い方をするとより地球にダメージを負わせることになります。

山道を走っていますと、メガソーラー建設といい森林を多く伐採して太陽光パネルを設置しています。当然のことですが、森林が減ると温暖化がすすみます。より悪天候が増えて土砂災害などの危険も伴います。矛盾していますね。自然による電力を生む装置を設置するのに森林を伐採するのですね。そのパネルがやがて壊れたらゴミになります。

太陽光パネルがいけないのではありません。誤った使い方をすることで、より未来に危険が増えるということです。

SDGsという言葉が独り歩きしています。SDGs関連のシャツやらグッズが沢山出ていますが、将来的な環境のことを考えるのでしたらモノは作らない方が良いでしょうね。使い切りの電池を充電式に替えるというのはなるほどと思い、少しずつ充電式の電池に替えています。

要約しますと
「温暖化が進み電力確保が大変だ。ソーラーパネルを増やそう」といい森林を伐採する不思議。
「SDGsだ。将来的な環境のために活動しよう」といい沢山のグッズを作る不思議。

その2つの不思議についてです。

物を大切に、資源を大切に、必要なことですが何事でも極端に走りすぎると危険です。
無理せずにできることからコツコツはじめましょう。
令和四年九月記
高野槙のお供え

高野槙をご存じでしょうか。松のような青々とした葉が特徴です。
古来より高野槙は先祖の霊が宿る霊木として尊重され、高野山をはじめ関西地方では多く仏壇に供えられています。特に祖山高野山では寒冷地で花が育たないため年中高野槙が仏花として供えられています。

六道参りをご存じでしょうか。京都でのお精霊さん(ご先祖さま)をお迎えする行事を指します。

京都ではお盆の時期になると閻魔さまのおられる六道珍皇寺へ参ります。参道で高野槙を買って、閻魔さまのおられるお堂へ行き、鐘を鳴らすと、閻魔さまが「〇〇の家族が迎えに来たぞー」ご先祖さまをこちらへ呼び連れてくれます。(閻魔さまが居られる=冥界につながっているわけです)
そのご先祖さまの霊、お精霊さんが家族の持つ高野槙に移り、それを持ち帰って仏壇に供えることでご先祖さまを自宅へ迎え入れることができます。

お盆が終わりますと各家庭で送り火を焚くのですが、京都ではかの有名な京都大文字焼きですね。まとめて送り還します。

九州地方ですと高野槙があまり手に入らないので、宗園院では関西より送ってもらっています。
もし花屋さんなどで見かけたら是非ご仏壇にお供えくださることをおすすめいたします。
令和四年八月記
毘沙門天大祭の記録
今回も写真をたくさん撮っていただいたので、その様子を少しだけ掲載いたします。
コロナ禍で間隔を広く取るために内陣にも席を設けました。(今年までかな)
火焔も本当にさまざまな形態を取りますね。
他にも良い写真が沢山あるのですが、どうしても秘仏が移っていますのでこちらへは掲載できませんでした。
令和四年七月四日記

POST CARD第二段完成

チベットタンカのPOST CARD第二段が完成しました。
第一段から少しだけ変更しています。
同様に本堂前に置いていますのでご自由にお持ち帰りください。宗園院住職
令和四年六月記
京都にてお勉強
先日、京都は種智院大学におきまして西院流能禅方の伝授第一会が無事に開筵されました。
5月にも別の勉強会が京都にて行われました。
学ぶことばかりですが、このような機会を頂けることはありがたいことです。
少しずつではありますが物事が動き出して、日常に戻ってきたような気がいたします。

大祭に向けての準備も着々と進んでいます。

7月3日は毘沙門天大祭です。どうぞお参りくださいませ。
令和四年六月九日記
子供の名づけは慎重に
子供の名前は一生のものです。

法務省によりますと
1 戸籍法に定めず、権利の乱用がなく公序良俗に反しないといった法の一般原則に基づき判断
2 音読み訓読みや慣用で読まれ、または字の意味と関連があるものを許容←(ひどいですねこれ)
3 2に加え、法務省令で定めたものを許容とする

漢字一文字を調べますと、字によってはさまざまな読みが出てきます。音読みでも漢音や呉音の読みで異なり訓読みも同じです。日本仏教では経文は呉音で発音することが多いのですが、これは唐から経文は写しても正しい発音までは持ち帰らなかったからと言われています。漢音や唐音で読む教典も伝わってはいます。真言宗の根本経典の理趣経は漢音にて発音しますので、傍目には何て言っているかわからない、という意見も聞こえます。
また、日本人は外来の言葉をすぐに漢字に直して音写するのでアメリカは「亜米利加」、ドイツは「独逸」などと表記するのが得意です。当て字ですね。無理やりな当て字もありますが読めるということが大前提になります。
真言(マントラ)も漢字に変換されていますので、漢字自体に意味が無いことが多く、あくまで発音するための当て字として用いられています。マンダラは曼荼羅、曼陀羅の両字がありますが、ただの音写なのでどちらでもよいということになります。

地名となるとさらに複雑になります。地方の訛りなどで読みがどんどんと変化していくわけです。
生という字を調べますと何十という読みが出てきます。生地、生口、生駒、相生、生田、羽生、竹生など。
私は大分へ移り住んで原という字を「はる」と読むと知りました。古国府は当初は読めませんでした。

閑話休題。
子供への名づけは親が初めに与えるプレゼントです。
大切なのは、その字がちゃんと読めるか、子供が成長して自分の名前に不満を覚えないか否か、ということです。法務省の字の意味と関連があるものを許容というのは漢字の文化を否定したものになります。
非常に残念です。

大分合同新聞の記事より引用いたします。

例1
大空とかいて「すかい」です。
残念ですがすかいとは読めません。
漢字としての意味を全く成していませんので無理に漢字を使うことなくひらがなかカタカナでいかがでしょう。

例2
ゲームのキャラクターのような名前をつけました。光に宙で「ぴかちゅう」です。
何が悪いのか?・・・そうですね、子供につけずに自分で名乗ってはいかがでしょう
ご自身の戸籍を改名してはいかがでしょう。そうすれば少しはわかるでしょう。
ニックネーム止まりにしませんか。

もし、変わった名前をつけられた子が居たとして、その子が成長して自分の名前の由来を知った時どう思うでしょうか。思春期を迎え、成人を迎え、社会に出て名刺を渡す、やがて中年老年を迎える、その過程でずっと名前に関して説明が必要になります。驚かれます、からかわれます、陰で笑われます、そして必ず「どんな親なのか?」となっていきます。その度に大いに傷つくことになるでしょう。

それが本当に子供のためになるのでしょうか。

よほどの場合は改名が認められますが、それでも名前を付けた事実は消えません。
親のエゴにはならないように子供の将来を考えて命名をしていただきたいものですね。

令和四年五月記
POST CARD 第二段作成中
おかげさまでチベットタンカのPOST CARD初刷分が残りわずかとなりましたので、少しだけデザインを変えて第二段の作成に掛かっています。初刷分の残りは変わらず本堂前の机に置いていますのどうぞお持ちください。

石山寺さん

少し前ですが、滋賀県石山寺光堂にてお授けがありました。新しいお勉強のはじまりです。
石山寺では梅が咲き誇っていました。今は桜が咲き始めているようです。
光堂は中世にタイムスリップしたかのような厳かな空間でした。

また、東寺観智院が開帳されていたので参拝してきました。
令和四年三月記
世界情勢について 私見

転輪王とは求められる理想の王である。

もし政治を行う人が、仏を信じ、教えを信じて、慈悲深く徳のある人を敬い、これに供養するならば、敵もなく、恨みもなく、国家は必ず栄えるに違いない。
そして、国が富み栄えるならば、他の国を貪り攻めることもなく、また他を攻める武器の必要もなくなるであろう。したがって国民も満足して楽しみを受け、上下和らいでむつみあい、善を増し徳を積んで互いに敬愛し喜びあうから、いよいよ人は栄え、寒さ暑さもととのい、日も月も星も常の程度を失わず、風雨が時に従うようになり、こうしていろいろの災いも遠ざかるようになるであろう。

王たるものの勤めは、民を守ることにある。王は民の父母であり、教えによって民を守るからである。民を養うことは、父母が赤子を養うようなもので、父母が赤子のことばを待たず、湿ったものを取り替えて新しい布をあてがうように、いつも民に幸いを与えて悩みを去るよう慈しみ養うのである。まことに王は、民をもって国の宝とする。これは、民が安らかでなければ政道が立たないからである。
だから、王たるものは、民を憂いてしばらくも心を離さない。民の苦楽を察し、民の繁栄をはかり、そのためには常に水を知り、風、雨を知り、実りの善悪を知り、日照りを知り、民の憂いと喜びを知り、罪の有無と軽量、功績の有無などをよく知って、賞罰の道を明らかにする。
このように民の心を知って、与えなければならないものは時をはかって与え、取るべきものはよく量って取り、民の利を奪わないよう、よく税を軽くして民を安らかにする。
王は力と権威によって民を守り、このようにして民の心になって民をよく見守るものが王と呼ばれる。

この世の中の王を転輪王というが、転輪王とはその家系が正しく、身分が尊くてよく四辺を統御し、また教えを守るところの王である。
この王のゆくところには、戦いもなく恨みもなく、よく教えによって徳をしき、民を安らかにして邪と悪を下す。
また転輪王は、殺さず、盗まず、よこしまな愛欲を犯さず、偽り、悪口、二枚舌、むだ口を言わず、貪らず、瞋らず、愚かでない。この十善を行って民の十悪を去らせる。
また、教えによって政治を正すから、天下において思いのままになすことができ、そのゆくところには戦いがなく、恨みもなく、互いに相犯すこともない。したがって、民は和らぎ、国は安らいで、民にいよいよその生を楽しませることができる。だから教えを守る王といわれるのである。
また転輪王は、王の中の王であるから、もろもろの王はみなその徳を喜び、その教えに従って各々その国を治める。このように転輪王は、もろもろの王をして各々その国に安んじさせ、正しい教えの下に王の任を果たさせる。

お釈迦さまが説く、国を治める王としての理想の姿が転輪王(てんりんおう)であります。 古来インドではアーリア人による侵攻で土地を奪われ厳しいカースト制度の中で生まれながらに身分を定められて下級民は虐げられてきました。その中でお釈迦さまの説いた「人々はみな平等である」という教えはどれほどの救いをもたらしたことでしょう。 そして、人々が平等で安らかに暮らせるために必要な理想国が転輪王の治める国である、と。国を統治する王としての資質が備わっていないと国が乱れます。愚かな王が民を苦しめるわけです。殺人が許されないのに戦争は許されるのでしょうか、許されるはずがありません。



昨日の南無の会では元々輪廻観などを話す予定でしたが、昨今の世界情勢を鑑みて内容を大幅に変更して、国王(国を統べるもの)とはどういうものか、などの話をいたしました。
法(ダルマ)・信・倫理を正しく持ち合わせた者、常に民を憂いて民が穏やかに過ごせるように政道を果たすものが正しき国王です。

以下は昨日には話さなかった私見になります。


日本は第二次世界大戦に敗れアメリカに降伏をいたしました。

敗戦後の昭和20年9月27日、昭和天皇はマッカーサー元帥に会いにアメリカ大使館へ赴かれました。
そこで会見が行われたのですが、天皇の発言はこのような内容だったそうです。

『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』

戦争のすべての責任をご自身が背負うから日本国民を許してくれということです。マッカーサー元帥は「日本にはかのような王が居る」と感服したと自身の回顧録に記されています。

『かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。 これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい』

ややもすればアメリカの植民地になっていたかもしれませんが、そうにはならずにすんだのはこのやり取りがあったからと私は思っています。
天皇陛下万歳と戦争による暴力に無理矢理に大義名分をつけて、お国のため天皇のためと多くのものが命を投げ出しました。多くのものが殺されました。本当に恐ろしい異常事態です。その中で国の主が「勝手にしたものだ、私には責任はない」なんて言おうものなら亡くなったものたちが報われませんよね。
昭和天皇のこの発言によって報われた気がいたします。
現在、世界が荒れています。戦争が起きています。最も愚かな手段を選びました。
戦争を起こしたものはこのように全責任を負うことができるでしょうか。

また、この現状を対岸の火事とみるのか、憂いて備えることができるのか。
心構え一つで未来は変わっていくでしょう。

令和四年二月記
星供曼荼羅

先輩僧の見本を元に星供の種字曼荼羅(種字しゅじと読む、梵字にて書かれたもの)を書き上げました。
実は星供の曼荼羅は多く伝わっていますが、それぞれ星の配置などが全く異なっています。
手元の資料で星の配置や順番や梵字の違いなどを見比べていたので、そちらに大層が掛かってしまいました。
掛け軸にする予定です。

令和四年二月記
鎌倉殿の13人
NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がはじまりました。楽しく視聴しています。
時代は平安後期から鎌倉期にかけてになります。
源頼朝、平清盛、そして後白河法皇といえば密教隆盛期の時代になります。仏教の転機を迎えた時代です。
修行時代にご一緒いたしました仲田僧正の鎌倉覚園寺さんも出るようです。
どのような展開になるのか全く読めないですが、これまた楽しみです。
節分の支度
護摩壇を星供の壇に支度を整えて拝みこんでいます。
未明から早朝の空は澄んで月が輝いていました。自然と手が合わさりますね。合掌。

令和四年一月末日記
授与品 御宝号御守
新年からの授与品といたしまして新しく御宝号御守を作成いたしました。
こちらは高野山伽藍中門再建時に使用されたヒノキ材の余りを用いて作っていただきました。その為、数が限られていますのでご理解くださいませ。
その他の御守りと同様に500円にてお分けいたします。
また、清め塩もご用意いたします。こちらは1袋100円にてお分けいたします。
令和四年一月一日記


チベットタンカのPOST CARD
奉納いただきましたチベットタンカ(本堂に飾っています)を元に宗園院POST CARD3種を作成しました。
良い仕上がりになりましたので、令和4年より参拝記念として希望者に配布を予定しています。
今回はお試しということもあり数量は限定されてますが、今後もデザインなどを考慮しつつ作成予定です。

令和三年十二月記
勉強会の準備 配信テスト
青年会という若き僧侶たちへの勉強会です。コロナ禍につきZOOMによる配信にて行うことになりましたので、その段取りなどの最終打ち合わせを行いました。僧侶の勉強会は面授(顔を合わせて行う)が基本ですので、まさかこのような状況になるとは…なんとも不思議な時代ですね。WIFI環境の整わない方はこちらへ来ていただきます。

会議なども配信が当たり前となりましたので、わざわざ足を運ばなくてもよくなりました。
コロナ禍でなければ許されないことでしょうね。
令和四年十一月記
如意輪観音さま

こちらは本堂右内陣に居られる如意輪観音さまです。
私が宗園院に来てからお迎えをしました。高さは一尺程になります。柔和で端正な御顔をしています。
由来は専門的な話になりますが、京都での小野流(観流、三宝院流)の伝授を受けるにあたり、十八道次第の本尊は如意輪観音さまなので、実際に作法を学んで拝むためにお迎えすることにいたしました。

只今、大分青年会への勉強テキストを作成していますが、その辺りも詳しく話す予定です。
令和三年十月記
挨拶(あいさつ)

今月の護摩で配布した言葉は「挨拶(あいさつ)」です。
挨と拶と共に「詰め寄る、迫る」という意の仏教語です。元は互いの知識を図り合う問答の用語。

現在は、お互いに顔を合わせた時などに用いられています。
お互いに「尊重し合うこと」が前提ですので、挨拶をされても返さないのは言葉の意に反しています。
仏教だと寺を追い出されます。

つまり、一方的な挨拶というのは存在しません。それは挨拶の体を成していないので、返さない人には挨拶をする必要がありません。「この人は礼節を持つ人か」などと人を判断する要因の一つにもなりえます。
朝の挨拶やその日初見の挨拶などは気持ちよく行いたいものですね。

「会釈」も同様に元は仏教語です。
令和三年九月記
施しの心 ダーナとドナー

「与える」こと、対価、見返りを求めない「施し」のことをインドの言葉でダーナ(दान、dāna)といいます。
檀那、旦那はこのダーナの当て字になります。
チャリティーやボランティアというのもこの施しの心になります。
このダーナを語源として生まれた言葉にドナーがあります。臓器移植や骨髄移植での提供者のことを指します。
お盆の法要ではこの「施しの心」について話をしました。
施すとはどういうことか?施しをしたらどうなるのか?

また、私がドナーとなって身内(兄)に骨髄を提供した時の話をいたしました。
さらっと話をしましたが、兄の闘病記を読み返すと壮絶ですね。
ドナーとしての手術が終わり退院する時に、担当の医師や看護師から何度もお礼を言われました。まさかお礼を言われるなんてこれっぽっちも思っていなかったので、驚いたと同時に涙が出たのを覚えています。
もう20年以上も前のことですが、昨日のことのように記憶に残っています。笑い話も沢山あります。
お世話になった先生や看護師さんたちははお元気でいらっしゃるのでしょうか。


コロナ禍や異常気象などの天災に見舞われて大変に苦しい世の中になってきています。
後悔の無いように功徳を積んで一日一日を大切に生きていただきたいと存じます。


追記
骨髄移植は、ドナーの身体への負担が少ないのが特徴です。私は術後3日目には退院できました。骨髄を採った箇所の軽い痛みはしばらく続きましたが、普通に生活できるレベルだったので特に気になりませんでした。今は医療もさらに進んでいるのでドナーの負担もさらに少なくなっているでしょうし、また、治療法についてもさらに多くの治療法が存在しています。認知度も増えてきてはいますが、それでもドナーが足りていないようです。
令和三年八月十五日記

兄の再生不良性貧血による闘病記はこちら

日本骨髄バンクのサイトはこちら


お盆の準備と迎え方
こちら浄土宗さんのHPに盂蘭盆(うらぼん)略して「お盆」について丁寧に説明されていますのでご参考になさってください。宗派は違いますが準備やお迎えの仕方などは同じです。
また、他のページもイラスト入りでとても見やすいサイトになっています。
(うちのご本山も是非こういうサイトをお願いします)

宗園院の檀家さまへのお盆参りの案内にも精霊棚のイラストを入れて「このように準備するんですよ」とお知らせしていますので、準備をしてくださるお宅も増えてきました。嬉しいことです。


お盆とはご先祖さまをお迎えして「おもてなし」をする期間です。
年に一度くらいは普段よりもたくさんお供え物を用意して手を合わせてみませんか?


お盆参りの案内とお盆の供養祭の案内を発送いたしました。

令和三年七月記
毘沙門天大祭を終えて

因果応報とは?自業自得とは?善因楽果・悪因苦果などについて話しました。

令和三年七月三日記
毎月護摩供で配布してる言葉

今年の4月からお大師さまの著書より『十住心論』(心が低次元より高次元の精神世界へと次第に向上発展していく段階を十種に分けたもの)を1つずつ配っているのですが中々難しいらしいので、10枚全て配布した時に解説も加えてお配りしようと準備をしています。
参拝者への配布物なので郵送はいたしませんが、さかのぼってお渡しすることも可能ですので、2が欲しい3が欲しいという場合は参拝時にお申し出くださいませ。
令和三年六月記
信貴山で毘沙門灌頂
12年に一度の毘沙門灌頂が来年寅年にご本山信貴山にて開催されます。信貴山内各寺院にて入檀受付が開始されていまして、大分から参加入檀される方もいらっしゃいます。信貴山本山で受付が出来るのではなく、3か寺の塔頭寺院それぞれ個別に受付申し込みをするようです。千手院 玉蔵院 成福院 詳しくは各HPを参照にしてください。(成福院さんは毘沙門灌頂の詳細が不明でした)
令和三年五月記


それに関連しまして、先日3日の護摩供では毘沙門天さまについてお話いたしました。
毘沙門天さまのおわす処、お姿、はたらき、などなど。
天部は権類と実類とに分けられます。毘沙門天さまは権類にあたります。本地があるのが権類です。
歓喜天さまは実類にあたります。(権類という説もありますがやはり実類の位置づけがよいと考えています)

また、実類には動物霊や妖怪などがいますので、アマビエやアマビコは実類になります。実類は扱いが難しく厳しいものが多いのでご注意ください。
※寺院参拝の心得というページを作成中ですが、誤って作成途中のページを上げてしまいました。
仕上がりましたら改めてアップいたします。
チベット仏画

あるお檀家さまから奉納されました仏画を別のお檀家さまのカメラで撮ってもらいました。
かなりの高解像度なのでトリミングをしたらとても良い感じになりました。
写真はポストカードに出来るといいなと思っています。(許可済)
仏画3点は変わらず本堂に飾っていますのでどうぞご覧くださいませ。
シェアハウス
新しく入られたお隣さまがシェアハウス(男性限定)をされるそうで引っ越しやら改装工事をなさっています。
時を同じくしてこちらも庫裡の改装工事に入りますので、お互いにトンカンしています(笑)
お隣さまがシェアハウスを持たれるのはこちらで3件目だそうで、留学生や一人暮らしの大学生だけではなくて幅広い世代の方々が入るようです。温泉好きたちのお家 湯治シェアハウス「湯治ぐらし」経営されています。

高野山大学時代は倉庫を改装した家に、上の階(私)と下の階(友人)とで分かれて暮らしていましたことを思い起こします。今でいうシェアハウスです。
典型的な貧乏学生でしたので、寺制という高野山内寺院でのアルバイトをして生活費を稼ぎながら、みんなでごはんを作ったりゲームに麻雀に映画にそしてたまには運動したり、と同じ環境の仲間と毎日楽しく過ごしていました。その友人とは今でも交流があります。
懐かしいですね。かけがえのない思い出です。
若者の未来に幸あれ。
令和三年四月記
お香作り
本堂のお焼香は天香堂さんの銘香飛切というものをお願いしています。
深い沈香と甘い香りの合わさったものでとても良い香りなので重宝しています。
(以前は天香堂さんのサイトで商品の詳細が見れましたが今は見れないようです)
さらには沈香単品も用いています。タニ沈香とシャム沈香の両方を常備しています。
こちらは高野山大師堂さんへお願いしています。

それに加えまして自分でも配合して作っています。かなり以前に作ったものが無くなりましたので、また同じような配合で作ってみました。七種類の香を混ぜています。香りはかなり辛めになります。これをしばらく寝かせるとそれぞれの香りが混ざり合って落ち着くそうです。

令和三年三月記
 
節分に向けて2 なぜ2月2日なのか
今年の節分はなぜ2月2日なのか?
簡潔に言いますと立春(節分)は太陽と地球の位置関で決まります。日時で決めているわけではありません。
地球側から視た太陽の位置で春分や夏至や大寒や立春というのが定められています。
これが太陽暦に基づいた二十四節季になります。

本来は地球が公転しているので太陽視点になります。
太陽からみて地球が決まった角度(315℃)に来たら立春となりますので、今年はそれに当てはまる日が2月3日でしたので、立春の前日の節分が2月2日になりました。

実は地球の公転の関係から毎年数時間ほどずれているのですが、今年はそれが午前0時を跨いだわけです。
立春は二十四節季の一つになりますので、二十四節季の図を見ればわかりやすいかと思います。
(検索してください)

つまりは地球の公転は完全な円ではなく楕円であり、また一定の速度でも無いということになります。
だからずれるわけです。


スケジュール帳は星の手帖社の星空手帖というのを愛用しています。
月の満ち欠けが全て印刷されていて、新旧暦が一目でわかるのでとても便利です。
令和三年一月末日記
星の手帖社
節分に向けて
拝みこんでいます。
壇にはお檀家さまから頂いた白の布をひいています。また、本来不用なものも便宜上置いています。
こちらの地域では法事の時に反物の白晒などを頂くことがります。(近頃は減りましたが)
おそらくですが、僧侶へ布切れを施した「布施」の形式が伝わっているのでしょう。
いろいろと活用させていただいております。

属星供と北斗供 いずれも一定の期間を設けて修法しています

令和三年一月大寒記

お賽銭のキャッシュレス化について

お賽銭をキャッシュレスいわゆる電子マネーで納めるのは有りか否か?

お賽銭の意味をご存じでしょうか。
耳にするのは「神仏への感謝の表れとして納める」といった内容ですが、それならばお賽銭を投げる必要はなく、どうぞと差し上げるのが作法になります。ところがお賽銭は投げるのが習いです。
(おひねりというお米のお供えとよく結び付けられますが、起源は別物だと考えられます)

なぜ投げるのか?

お賽銭を投げるのには「お金という欲を投げ捨てる行為を神仏に見せる」という意味があります。
心の垢や穢れ、罪咎を落とす作法です。そのように私は認識しています。

神社でも寺院でも手水場という手を洗う場所があり、そこで手を洗い口を漱ぎ身体の汚れを落として「身」を清めます。その次に本堂の前や拝殿でお賽銭を投げ入れて欲を捨て心の汚れを落として「心」を清めます。私はお金という欲に囚われませんという意思表示です。
この順序で身心を清めてからお参りをするのが習いです。
賽銭箱に投げ入れられたお金は神仏が浄化をして「香油銭」となります。
「浄財」といったほうが馴染み深いでしょうか。
浄められたお賽銭は油代(今はローソク代)やお香代としてさらには施設運営費として用いられるわけです。

お金の歴史は古く奈良時代に遡ります。日本人は古来よりお金を造っていますが、当時からお金というのは便利だがとても恐ろしいものだという認識があり、なるべくならば使わないでおこうと物々交換を主として生活をしていました。お金を用いた時代もあればまた物々交換に戻るなんてこともあったようです。お金が普及するとそれが元で争いがおこるというのを理解していたわけです。
(国の大きさは米の量である石高で表して、年貢は米で納められていた時代はそれほど古くはありません)
また、災害などがあった時にお金自体が役に立たない、という考えもあったようです。
お金とは便利だけどあくまで代用品なわけです。
大雪で小屋に閉じ込められた、地震で道が塞がれて動けない、といった時に蔵などに食べ物があれば飢えをしのげるわけですが、お金だけ持っていてもそれを食べられないので、空腹を満たせないわけです。

 ・お金は欲の象徴であり、争いの元となる
 ・お金は代用品、災害時には役に立たない

なので、古くから お金=欲 というのが日本人の感覚にあり、なるべくならば使わないでおこうという時代が長く続いたようです。そのような民族性なので、お金を扱うものは身分の高く無い者たち(言葉が悪いですが)という認識でした。今は違いますよ。

実際にお金に触れてその上で神仏の前で(金額を確かめたりせずに)投げ捨てるのがお賽銭の意味なので、キャッシュレス化になると古の日本人の民族観が失われていくことになるでしょうね。スマートフォンやカードにお金をチャージをして、金額を設定して、キャッシュレスでお賽銭を納めてもそれは単なる支払いといえます。

え?お賽銭の語呂合わせですって?そのようなものはございません。
でも、よく作られてれいますし、日本人はそのような言葉遊びが好きなので、なるほどとは思っています。


余談1

地域によっては棺に六文銭を入れる習慣が残っています。
これは「三途の川の渡し賃」や「冥途の旅支度」などと聞きますが、実は違います。
あの世にお金は持っていけません。それはどこかお話の席で語ります。


余談2

宗園院では護摩壇に油皿を使っています。(実際には油皿とローソクと両方が使えるもの)油が溜まったお皿に糸を垂らして火をつけますと、糸は油を吸ってずっと燃え続けるので、長時間のお勤めや、灯りが欲しい時に重宝しています。みなさまのお賽銭が浄財となり、仏さまを照らす灯明としてお供えされているわけです。合掌。



アマビコとアマビエ
コロナ禍で疫病除けの妖怪として注目を集めたのがアマビエです。
しかし、このアマビエという妖怪を見ておや?と思われた方がもしかしたら居るかもしれません。私も言うべきか否かで悩んでいましたら気づけば年の瀬となっていました。

結論から言いますと「アマビエという妖怪はいません。アマビコの誤記です。」ということです。
手元の資料『日本の幻獣図譜』湯本豪一著を見てみますと、アマビコとは「阿磨比古」「天日子」「天彦」などと記述され、出現場所も姿も一様です。(犬のようであったり鳥や猿のようであったり)九州南西部辺りで多く目撃されているようです。

予言獣「尼彦」 肥後の国真字郡で夜な夜な猿の声で人を呼ぶので柴田五郎左衛門という者が聞き届けると、自分は海中に住む尼彦というものと名乗って、6年間の豊作と流行病で多くの人死亡することを予言、「病難を避けるには尼彦の姿を描いて貼り置け」と伝えて何処へともなく姿を消した。この尼彦は4足の動物のような姿で全身が毛で覆われている。

とあります。(下図参照)

それでは、妖怪とはどうやって生まれるのか?といいますと
妖怪の定義として
1 目撃談
2 体験談
3 描写
が必要になります。(あくまで私の独断です)

目撃談や体験談が多ければそれだけ信ぴょう性が増して、噂が噂を呼び、終には妖怪として認定されます。
アマビコは3つの定義を踏まえていますので妖怪として認められていますが、アマビエはどうでしょう。
アマビエは目撃談はなし体験談もなし描写は版画が1つあるだけ、これだと信ぴょう性に欠けてしまい、妖怪として後世に名を残すには力不足です。湯本豪一さんもアマビエはアマビコの誤記であると書かれています。

逆に言えば多くの者がその妖怪の存在を認めるならばそこに存在しうるわけです。
(書いていて可笑しくなってきましたが、人々の心が生み出すこともあります)
まあ、アマビエは妖怪というよりかはマスコットキャラクターのような扱いですね。

こちらの阿磨比古は「信仰の対象として描かれたもので護符を配っていた」らしいのですが…江戸時代といえば番町皿屋敷に代表されるように、怖ろしい幽霊画や魑魅魍魎の描写が大流行もとい跋扈した時代ですよね。その時代にこの阿磨比古は信仰の対象というよりかはマスコットキャラクターのような扱いだったのでは?と思います。
(描いた人はお告げを信じて懸命に描いたようです)


コロナという疫病が流行り、人々の思いと望みにより疫病除けとしての妖怪だと注目されたことで、アマビエがついに妖怪として弘化三年改め令和二年に生まれ認められたのは事実です。かわいらしいですしね。 だらだらとくだらないことを書きましたが、当然ながら今もこの先も疫病の収束を祈り続けています。 ただ、アマビエとは神や仏ではなく一妖怪ですから、宗教家があやまった使い方だけはしないようにご注意くださいということです。







高野山真言宗全国青年教師会による土砂加持法会

令和2年11月12日午後1時 伽藍金堂におきまして高野山真言宗青年教師会による土砂加持法会が執り行われました。コロナ禍での行事となりますので一堂に会することが困難となり、全国より清浄な砂が集まり土砂器に納められました。私は日本を超えインドはナイランジャナー川の清砂を納めさせていただきました。

令和二年十一月記
 
 
大師号下賜1100年記念法会10月27日に成満いたしました
全国より6万巻を超えるお写経が奉納なされました本山金剛峯寺よりお写経奉納者への大師お衣裂御守が届きましたので、奉納者のみなさまの元へお送りさせていただきました。令和2年11月11日
随心院小折紙伝授満了


京都は小野にありますご本山随心院さんにて続いていました『小折紙』伝授が満了しました。
こちらでは勧修寺流の伝授より長らく通い続けていましたが、一区切りです。

大師号下賜1100年記念法会 高野山奥之院燈籠堂


大師号下賜1100年記念法会が昨日よりいよいよ開白いたしました。金剛峯寺のサイトはこちら
開白に際して、利休居士第15代前家元鵬雲斎千 玄室さまの献茶と、華道高野山山縣弘俊華務長による献華が行われました。高野山金剛峯寺のfacebookサイトでは厳かな法会の様子などがアップされています。

それに合わせまして先日の大師号下賜1100年記念写経を奉納させていただきました。
この度は急なお願いにもかかわりませず速やかにお写経を奉納していただきまして改めて御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。法要結願の後に記念御守りが届くようでございます。

別府南無の会再開します
おまたせいたしました。しばらく休会していた別府南無の会を9月より再開いたします。
講師は私藤田修弘です。「ご先祖さまは近くにいる」というテーマでご先祖さまがいったいどこに居るのか?どの位の距離なのか?など抽象的なことを具体的に説いていきます。久しぶりなのでしゃべり倒します。参加費は無料です。どうぞお越しください。

日 時 令和2年9月12日午後3時より4時頃まで
場 所 別府サザンクロス4F 第2研修室 別府市千代町1-8
毘沙門天大祭無魔成満
令和2年7月3日、宗園院本堂に於きまして毘沙門天大祭が無魔成満いたしましたことをご報告申し上げます。
この時期は元々は梅雨の中日で雨も少なく晴れることも多かったのですが、ここ数年は大雨に降られています。
またコロナ禍での法要ということもありまして参拝者にはマスクの配布着用とアルコールによる消毒をお願いいたしました。また、お茶のお接待などは遠慮させていただきました。
早く平穏な日常が戻ることを心より願って止みません。

令和二年七月三日記


新型感染症早期終息祈願法会
本日5月3日午前9時より高野山金堂と大塔におきまして 新型感染症物故者追悼法会・護摩祈祷「新型感染症早期終息祈願法会」が執り行われました。高野山内寺院僧侶などが出仕して一座土砂加持法会と護摩祈祷との法会で、この度は参拝者を迎えず動画によるLIVE配信という試みでした。facebookで配信されています。後々に編集されたものが公式youtubeにて配信されるようです。

折角ですのでこれを機に金剛峯寺、伽藍、奥之院にライブビューイングカメラを設置し全世界から現在の高野山を見れるようにしてください。(須磨寺さんは20年程前からライブカメラを設置しています)

宗園院では同じく本日11時より護摩供がありましたので、毎月の檀信徒祈願成就と合わせまして、本山と同様に「新型コロナウィルス犠牲者追善菩提のため、また病魔退散祈願」として護摩供をお勤めいたしました。

常々言っていますが「世の平安無事を祈るのは我々の日常」ですので大々的に「拝んでいます!!拝みました!!」というのはどうも苦手とする処ですが、本山の行事とうちの行事の日が合いましたのでお伝えいたしました。動画のタグを埋め込んでみましたが見れますでしょうか?下の2枚は放送の画像になります。



(本音を申しますと…SNSをもっと早くにこのスタンスで始めて5年前の開創法会にどんどんLIVE配信が出来ていれば世界中からアクセスがあったでしょうに…勿体ないことこの上ない)


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新型コロナウィルスについて
新型コロナウィルス、正式名称COVID-19が猛威を振るっています。(政府の初動がまずかったとしか思えない)
多くの行事が中止を余儀なくされる中、僧侶として発信をいたします。

1、祈る
大々的に拝んでいますという必要はありませんが(毎日の平穏を祈るのが私どもの役割です)真言密教には古来より疫病が流行った時にはこの尊を拝む、といった作法が数多く伝わっていますので日々の勤行の中にその作法を修しつつ事態の終息を祈るばかりです。
こちらは私どもの行いですので、次にみなさまへの心構えを具体的に説いていきます。

2、自分の身は自分で護りましょう 
報道のままです。
手洗いうがいを行うこと、マスクを着用すること、などご自身でできることはきちんとなさってください。
油断をして手洗いをせずに物を食べるといったことが無いように心がけてください。
感染の恐れの高い場所には行かないよう心がけましょう。
とにかく可能性を下げれるだけ下げてください。それでも疾患することはあります。
その場合はそれを受け入れて拡散しないように心がけてください。

3、正しい知恵を身につけましょう
虚偽の情報を鵜呑みにする前に、果たしてそれが正しいのか否かを調べましょう。
今ならスマートフォンなどですぐに調べられます。
(偽りの情報を流すのは愚か者ですがそれに躍らされるのもこれまた愚か者です)

紙が無くなる → 無くなりません 
25℃でウィルスが死ぬ → それなら体温で死にます
55℃でウィルスが死ぬ → 本当ですか?それなら政府が発表しているでしょう
子どもへの感染率は低い → 前例が無いのにどうして子どもへの感染率が低いとわかるのでしょう


「みなが譲り合えばものは余りますし、みなが求めすぎるとものは足りなくなります」


「医療関係者が病院のマスクを無断で転売してつかまった」
「どこぞの議員が自分で持っていたマスクをオークションに出して儲けた…」(言い訳をしていましたが高額で売れてほころんでいたのは見なくてもわかります)など欲にとらわれている姿が哀れですね。同情はしませんが。
人の弱みにつけこんだ悪徳業者と変わりがないです。または転売屋へのほう助にもなりえますね。
わずかの利益と失うものの大きさとは比べ物にならないと思います。

少しきつい言い方をしますが、人間は古来より同じ過ちをずーーーっと繰り返してきていますよね。
歴史が物語っています。そろそろ正しい知恵を身につけましょうよ。


「下劣なことを行うな。放逸(ほういつ)に生活するな。間違った見解に従うな。世俗の徒となるな。」
ダンマ・パダ第13章167

令和二年三月記
節分会星祭り 無魔成満 
おかげさまで節分会を成満し立春を迎えることができました。
また、近隣寺院での法要も無事に終えました。ありがとうございました。
節分会では星々を勧請して供養をするため、それに合わせまして特殊な準備をいたします。
大難は小難に、小難は無難に、みなさま方の息災をお祈りし勤め上げました。合掌
令和二年二月三日記


大分支所特別伝道 令和元年十月二十四日 於弘法寺
7年に1度の周期で巡ってきます特別伝道会が成満いたしました。
本堂での護摩祈祷、風呂敷護摩によるお加持、四国霊場お砂踏み、管長猊下によるお受戒、念珠繰り、とあれこれ詰め込んだ内容でした。私は太鼓係でした。
宗園院からの檀信徒も数名参加いたしました。慌ただしい最中でしたが少し話ができました。
みなさまありがとうございました。






即位の礼 黄櫨染御袍
10月24日管長猊下をお迎えしましての「特別伝道」、そして10月26日石野浩司(聖咒)先生をお迎えしましての南無の会「特別講演会」ともに無事にお迎えすることができました。

御寺泉涌寺の心照殿研究員であります石野先生の皇室祭祀に関するお話には感心しきりでした。
いつまでもお話をお伺いしたいと思うほどです。
その石野先生が11月3日放送のNHK「日曜美術館」に出られます。
天皇にまつわるすごいものを復元されています。

特別伝道の写真は後日アップいたします。

南無の会特別講演会のパンフレットに私は「即位の礼でご着用の黄櫨染御袍は平安以来の装束云々…」と書きましたが石野先生にお伺いいたしますと「即位式で黄櫨染御袍をご着用されるのは明治以降」とのことでした。

そこでどのような装束をお召しになられたのか調べてみました。画像上は黄櫨染御袍の文様です。桐と鳳凰に竹と麒麟が加えられたものだそうです。弘仁十一年(820年)に嵯峨天皇が黄櫨染御袍を重義の際に着用する着物とされましたが、即位の礼で用いる着物はまた違ったようです。(画像下)


そして、こちらが明治以前までの即位の礼にてご着用されていました御衣だそうです。
かなり中国式の御衣です。便利な時代になりましたね。少し調べると詳細などが画像と共に出てきます。
着付けも山科流と高倉流があること、皇后陛下のお召し物や、皇嗣妃殿下のお召し物や女子皇族のお召し物なども細かく決まりがあるようです。

また、世界各国の来賓の衣装もすごく見ごたえがありました。
日本の歴史はすごいですね。弥栄に弥栄に。
令和二年十月二十七日記
京都は醍醐寺にて






お盆と秋のお彼岸も終えた10月は催しが多く、京都をはじめあちらこちらへ出かけております。
今は伝授ブームというのでしょうか。各ご本山などでは伝授や研修会が盛んに執り行われております。

10月初めには醍醐寺に伝わる理性院流の伝授が行われ、(三宝院流、理性院流、金剛王院流の三流が醍醐寺に伝わる根本法流になります)醍醐寺三宝院にて許可潅頂を受けてきました。

他には肥前青年会主催の十結の伝授も行われました。こちらも三宝院流の系統になります。
京都は小野にございますご本山勧修寺での小折紙の伝授も引き続き受けています。
いずれの法流もそれぞれに相違があり、高野山で学んだ作法とも異なるのでとても勉強になります。

お勉強仲間から「今度はこの伝授があるよ」などとお誘いを受けるのですが、全て出られるわけでは無いのでタイミングと言いますかご縁が合うものだけ参加させていただいております。

24日は特別伝道が耶馬渓の弘法寺で行われます。その翌々日には南無の会特別講演会も控えており、忙しくも勉強になるので楽しみにしつつ支度をしています。
令和元年十月二十一日記

南無の会特別講演会のお知らせ
特別伝道のお知らせ 令和元年10月24日 場所 耶馬渓 弘法寺


7年ごとに巡って来ます「特別伝道」が大分担当で開催されます。高野山金剛峯寺より管長猊下をお迎えいたしまして「受戒」が執り行われます。檀家信徒さまで参加希望者は埋まりましたが、もし興味のおありの方は若干名だけ参加可能です。またと無い機会ですので参加希望の方は宗園院までご一報くださいませ。 
令和元年九月朔日 記
供養祭無魔成満のご報告


令和元年八月十五日午後一時、宗園院地蔵堂において盂蘭盆会供養祭が無魔成満いたしましたことをご報告申し上げます。 法要の後には「亡くなった方へお焼香の煙と香りは届きますよ、お茶湯お仏飯の湯気も届きますよ」といった内容のお話を三木大運和尚の実体験のお話を元にさせていただきました。お盆らしくゾッとするお話もいたしました。台風直撃の荒れた天候の中にも関わりませずご足労をいただきありがとうございました。当日は雨風ともに穏やかで無事に法要を迎えることができました。
令和元年八月十六日 記




 

令和元年八月十三日 記

ホームページを再び作成していましたら以前のブログデータ(wordpress)との連結設定を誤ってしまったのか、記事が全て消えてしまい、また投稿できなくなりました。
あえて外部ブログにせずともここへそのまま書き込むのも良いのかなとも思いつつ模索中です。
(画像や動画などのアップが手間ですが)

さて、八月十五日は当宗園院の供養祭がございます。現在準備の真っ最中です。
しかし、大型の台風が向かってきております。影響が大きくならないことを願うばかりではございますが、参拝予定の方々は安全優先で決してご無理をなさらないでくださいませ。

供養祭に向けて沢山の生花を活け込みました。
明日中には地蔵堂に飾り込めるでしょう。